不登校で拒食で死にたいと言い続けた長女がまもなくアメリカへ留学します
高校1年生の夏から不登校になり、2回2年生をして3年生の時に拒食が酷くなって幻聴もすごくて、自己否定、自己嫌悪、無価値観、あとはなんだ…難しい言葉はわからないけど、毎日暴れ、泣き叫び、自分自身を傷つけ、私を叩き、私の横で「死にたい…死にたい…」と言いながら眠りについた長女。
高校を卒業できなかったら一緒に死んでねと言っていた長女。
その長女を見ながら、私は何に気づけばいいのだろうと…私の鏡であるこの娘から何を教えてもらっているのだろうと…毎日毎日自分を見つめた。
長女を見つめるよりもずっっと多く、内観をし続けた。
自分責めをした時期もあったけど、その頃にはもうそんな事はしていなくて、ただただ静かに自分を見つめ続けた。
わたしは生きるのがしんどかった。
生きていなくてもいいのに生きている自分がいた。
死にたかったのは私だ。
長女ではなく私だった。
死んだように生きているのは誰でもない、私だった。
やりたい事を少しずつ始めた。
やりたくない事を少しずつやめた。
行きたいところへ行った。
会いたい人に会った。
娘たちを置いて出かけるなんて絶対に無理だったのに、私は笑いながらそれをするようになった。
罪悪感は無かった。
私が笑えば笑うほど、娘に笑顔が戻るのがわかったから。
長女は拒食で歩くのが大変だったこともあり、卒業まで毎日高校への送迎をしていたのだけれど、ある日車の中で不登校前まで見せてくれていた爆笑姿を見た。
泣きそうだった。
大好きな娘が見せてくれていた、もう見れないんじゃないかと思っていた椅子から転げ落ちてまで笑っていた爆笑姿。
それにそっくりな姿を見せてくれた。←車の中なのでさすがに転げ落ちないけど笑
無事に高校を卒業した娘はその後も倒れたり、救急車で運ばれたりしたけれど、その度に問題ないことだと信じていた。
大丈夫大丈夫、通過点でしかないと信じていた。
そして私はわたしを内観し、気づいたところから感謝して手放すことを選択した。
3月の宇宙からの剛速球が来るまでは多少行きつ戻りつだったけど私が私を生きると決めてから、長女は前々から言っていたアメリカ留学を決心して手続きを始めた。
来月頭、娘はアメリカへ出発する。
短くて2年。
長ければ4年。
私がいないと生きていけないんじゃないかと錯覚していた娘はもうどこにもいない。
高校を卒業して1年半。
長女は今日も笑顔でお出かけ準備をしている。
体調不良にも自分で気づくようになった。
お腹が痛くてトイレから叫んで私を呼んだ長女はもういない。
今お子さんの不登校で悩んでいる皆さん。
大丈夫。
信じて見守っていてあげてください。
そして、自分が我慢している事はないか、無理している事はないか、ゆっくり見つめてあげてみてください。
子供は親の為に命がけで色んな事を教えようとしてくれます。
子供の叫びは親の心の叫びです。
それほどに子供の愛情は深い。
あなたのお子さんは本当に素晴らしい。
大丈夫。
心配しなくて大丈夫。
鏡に向かって愛しているよと自分に言ってあげてくださいね。